天海祐希は宝塚受験に何回目で合格した?伝説的なエピソードも紹介!

天海祐希は宝塚受験に何回目で合格した?伝説的なエピソードも紹介! エンタメ
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多くのドラマで主演を演じる天海祐希さんは、宝塚歌劇団を卒業された時もかなり話題になり、今後は多方面で活躍する女優としてニュースになった事はとても印象に残っています。

言わずと知れた難関校の宝塚音楽学校は、何回も受験を受ける事が出来ない規定がある中で、天海祐希さんは何回目で合格できたのか、宝塚受験の合格エピソードから音楽学校在学中や、宝塚歌劇団での伝説的なエピソードを紹介します。

2023年4月からも天海祐希さん主演ドラマがフジテレビ系列で始まりましたが、宝塚の伝説的なエピソードを知ってから観る天海さんはより一層輝きを感じるのは私だけでしょうか。

それでは、最後までご覧ください。

 

天海祐希は宝塚受験に何回目で合格した?

天海祐希は宝塚受験に何回目で合格した?伝説的なエピソードも紹介!
天海祐希さんは中学校2年生の時に演劇部に入り、演劇部の顧問教授より宝塚音楽学校は舞台や演技の全てを学ぶことができ、その2年の過程を修業すれば宝塚歌劇団へ入ることができると勧められ、入学を希望し宝塚音楽学校への受験準備の為、クラッシックバレエを習い始めと言います。

菊華高等学校へ入学するも高校2年生を修了した1985年に宝塚音楽学校へ受験をするのですが、一度の試験で不合格ならば宝塚の道は諦めると両親と約束をし受験をしたそうです。

私の推測ですが、天海祐希さんの家族構成は、建築関係の仕事の父と、実家の東京都台東区で美容室を営む、祖母と母、そして兄と弟の6人家族。

両親ともに働いてはいたので貧しくはないけど、特段裕福な家庭ではなく経済的にも普通の家庭だったのではないかと想像し、急に娘一人を宝塚音楽学校という特別な全寮制の私立学校へ行かすのは親として戸惑いもあったのではないかと想像し、だけど本人の意思を尊重して一度はチャンスを与えたのではないかと思います。

宝塚音楽学校の受験は4回までしか受けられないという規定があるそうなのですが、祐希さんは、両親との約束もあり一度しか入学のチャンスがない為、面接時に、落ちたら二度と来ない事を伝えたそうです。

その言葉だけの影響ではないと思いますが、その時の首席で合格した事を校長先生に伝えられ、答辞を任されたそうです。

つまり、天海祐希さんは宝塚受験に1回目で、しかも一番良い点数で合格したことになります!

クラッシックバレエも幼少期から習った訳でもなく、中学校の演劇部の先生に才能を見込まれたことにより、演劇業界への道が開かれた、中学校の演劇部から伝説は始まった事になりますね!

 

天海祐希の伝説的なエピソード宝塚音楽学校編

天海祐希は宝塚受験に何回目で合格した?伝説的なエピソードも紹介!
上記でも述べましたが、宝塚音楽学校は4回受験する権利があり1000人ほどが受験して毎年40人ほどが合格し入学できるそうなのですが、その約千人の受験生は1回で合格する事は難しく、ほとんどが宝塚専用の塾に通い浪人を経て入学できる所を、天海祐希さんはその塾にも通う事なくトップの成績で合格した訳ですが、タカラジェンヌになる絶対条件は容姿も恵まれていなければタカラジェンヌにはなれない努力だけ何とかなる世界ではないという事。

なお且つ、男役を希望するには身長が160cm以上なければならなくて天海祐希さんの身長は171cm。

42人のクラスメイトの中でも抜きん出て目立っていたそうです。

成績トップから4番までの人が学級委員になるそうです。

天海祐希さんは学級委員に選ばれ、音楽学校1年目の予科生をまとめるのは大変だったと語っています。

宝塚音楽学校の風習は、礼儀を重んじる事もあり、予科生は、宝塚歌劇団員や音楽学校2年目の本科生との上下関係が厳しく、廊下で上級生達とすれ違う時や上級生が乗ってるかもしれないとの事で、学校の近くの電車が過ぎ去る時も頭を下げなければいけなかったと言います。

そんな中、目立つという事は憧れられる事は勿論ですが、その逆もあり、時には理不尽な事もあったと言います。

それを、いじめととらえるか、そうじゃないかは自分のとらえ方次第だけれども、やはりいじめはいけないと言っていました。

宝塚の伝統だった、男役の生徒はショートヘアの髪のはねを防ぐため沢山のピンで止めなければいけなかったルールも同期生の話し合いの末に変更したというリーダーシップも発揮しています。

明確な目標があるのと、厳しい事が多い分だけ同期の仲間と結束力が強くなって、精神力もさらに強くなったのだと思います。

 

天海祐希の伝説的なエピソード宝塚歌劇団編

天海祐希は宝塚受験に何回目で合格した?伝説的なエピソードも紹介!
本人の天海祐希さんは、音楽学校入学の時は、1番でしたが、出た時は、26番目でしたと笑いますが、2年の音楽学校を修業し、1987年に宝塚歌劇団に入って新人公演が7年ある中、その初年の10ヶ月後に主役を務めています。

宝塚歌劇団に入団をしても一度も主役に選ばれない方は沢山いる中、異例な抜擢だと言えます。

6年5カ月後の1993年の本公演で月組のトップスターになり、その2年後の1995年に天海祐希さん28歳の時に宝塚歌劇団を退団しています。

通常は、入団してから10年後くらいでトップスターとなり、5年後程で退団をしていく方が多い中、わずか8年5カ月で宝塚歌劇団を去った訳ですから、宝塚ファンの間で大きな衝撃となったのは間違いありません。

勿論多くのマスコミも大きく取り上げられたのを覚えています。

宝塚歌劇団は1914年宝塚少女歌劇として公演をスタートし、現在まで劇団としても確立されているので退団をしなくても良いのではないかと疑問に思いました。

宝塚音楽学校は15歳から18歳まで入学資格があり、18歳で入学できたとしても新人公演が7年、本公演がおよそ5年、遅くとも32歳から33歳で、皆さん退団にしています。

宝塚音楽学校からの風習や伝統からも見られますが、年功序列制が色濃く残っている事もあり、新しく入った者たちの為に入れ替わる事が必要だという事。

又、年を取ることが、美を損なう訳ではないですが、演者として美しくなければいけないという絶対的な条件があるからだと思います。

天海祐希さんの場合、先輩を飛び越えての主役抜擢だと思うので、宝塚歌劇団トップスターの2年間は他の方の5年間と匹敵する程の責任と重圧だったと思うので、早くしての退団は、後輩の為を思う心遣いがあったのでは思います。

天海祐希さん最後の出演となる公演では、今まで多くのスターが背負ってきた羽の衣装は着ずに舞台に立った事も話題となりました。

私なら、その宝塚歌劇団の舞台でないと着る事が出来ないし、最後なので絶対に着ると思いますが、宝塚歌劇団を思い、伝統も大事だが、新しい事も取り入れる風習も必要だと自ら見本を示したのではないかと思います。

また、退団パレードを行った方もいる中、その様な事は行わず、最後はカラーの花束を持ち、羽織袴の天海祐希さんは泣く事もなく、後ろも振り向かず去っていく姿は劇場を去った姿は、かっこよく潔さが際立ち天海祐希さんらしくやり切った感満載でした。

パレード等を行わなかった代わりに、ファンクラブに入会されている人全員にワイングラスの記念品を配ったそうです。

ファンの人達との交流の際も、沢山交流を持てるようにするため時間を有効に使うよう仕切った事もあったとの事、男役を演じる天海祐希の男らしさもファンにとって最大の魅力だったのではと思います。

余談となりますが、宝塚歌劇団の100周年は出席をせず、宝塚音楽学校の100周年イベントには出席したのは、後の後輩に宝塚歌劇団の退団後も多方面に活躍をできる事を見せる為と言われています。

そして、彼女の父からの教えで、100円の物をくれる人も飴玉をくれる人も同じファンであるから同じように大事にしろと言われたエピソードがありますが、自分の事より他人を思いやる事の大切さを持っている方だと思います。

 

まとめ

天海祐希は宝塚受験に何回目で合格した?伝説的なエピソードも紹介!
宝塚受験でかなりの選別のふるいにかけられる中、両親との約束もあり、何回も受験は出来なかったの事もあり、その当時の天海祐希さんは、相当な覚悟で宝塚受験に挑んだのだと思います。

そしてその覚悟は、目力や、気迫がオーラとなって多くの演者達を育ててきた校長や講師達も一目置く逸材とされ、一度のチャンスで合格し、それも主席での合格について、在学中も卒業後も多くの伝説を残しそのエピソードは、今も語られているのは、驚くばかりですが、当の本人の天海祐希さんは、それを鼻にかける訳でもなく、気さくな感じで竹を割ったような性格に見受けられ、とても好感が持てます。

美しさもありますが、特に同性からかっこいいと称賛されてますよね!

そして役によってはとてもコミカルで観ていて嫌みがなく何回見ても飽きなくて本当の意味の魅せる事を知っているのだと思います。

そんな天海祐希さんは私も大ファンです。

今後も新しい伝説的エピソードが聞けることを期待します。

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